追悼文11 故 櫻井先生の為に一言 ローマ字ひろめ会
宮崎静二
ROMAJI Dai 3 Go XXXW no Maki
<昭和14年>  
 
 『枢密顧問官の肩書きをふりかざして櫻井さんが文部省をいぢめる』と云うデマが臨時ローマ字調査会の終頃盛にとばされ、調査会に関係のない某博士なども私に其の事を話された。勿論是は為にするデマで叱られる以上の事実はカムフラージュする為のものであった事は云うまでもない。併し、平生文相は、少壮某々次官等も此の宣伝に動かされたかの嫌疑が濃厚のある。斯うして理否曲直蹂躙<ジュウリン>せられたのである。そして今や其の魔手は百パーセントの力で動いて居る様である。

 『学者と云うものはあんな者ではない』と先生は仰有った。風具<風車か?>の様に其日其日の風次第と云う態度をとる学者に対する先生の御批判である。美しき、高潔な人格と云う事の為に、学者らしき生一本の純情を持ち続けて御出になった先生に対して此のデマは其の者の心事陋徒労劣<ロウレツ=卑しく劣っていること>に抑へがたき悲憤を感ずる。世の中は斯うしたものであろうか。

 昭和3年の春雨のいぶる日、是も今は故人の後藤先生の御供して始めてあの応接間で御目にかかって以来約十二年、ローマ字運動を中心として頂いた御高庇の思出は実に数々あるが、こんな御話を伺った事もあった。学術振興会設立の際、畏こくも陛下が『朕が身の廻りはいくら節約してもよいから学術振興会には百万円下賜してやれ』と仰せ出させられたと云うことを聞いた時は全く覚え感涙に咽んだ、と先生が自ら仰有った事を思わず首を垂れて伺った事であった。あれも是も今は一場の夢で、永久に花は紅、柳は緑なのである。

追  悼  文
  1    大幸勇吉   2     柴田雄次   3      片山正夫   4     市河晴子
  5     阪谷芳郎   6  Yamaguchi Einosuke   7     桜根孝之進   8    佐佐木信綱
  9   Mizuno Yoshu   10    小原喜三郎  11     宮崎静二  12    奥中孝三
 13     大西雅雄  14     大幸勇吉  15      柴田雄次  16     鮫島実三郎